問題の所在、あるいは「どうしようもなさとはね」

。。


ビタです。
まずは、コピペ引用。。イリイチの最晩年。。『未来の北の川で』(2005年刊、
日本語版は、2006年に藤原書店から『生きる希望』のタイトルで出版)。。その
日本版の60ページ、編者による解説というか、「序論」から。。



イリイチはのちに『ジェンダー』を彼の経歴の分水嶺であったと述べている。彼の
言うところの「人間の尊厳を奪う開発儀礼(学校、医療、宣教、都市化など)に
対する攻撃的批判」から離れ、知覚の変遷の歴史的研究に移行する転換点である。
彼は、人間的サブシステンスのすべての形式が価値量で計測され、貨幣経済の範疇で
記述されるといった世界がいかにして発生しえたのかを理解したいと願ったのである。
そして、彼は蕾をほころばせつつあった女性運動をこのドラマの大詰めに近づいた
一幕と見ていた。イリイチの見るところ、女性は彼の言う「シャドウ・ワーク」の
大部分を遂行していた。経済のためには必要でありながら、しかしまだ貨幣での
支払いを受けない仕事、家事労働、子育て、買い物などなどである。このために
彼は、フェミニズムの学者は、女性が商品中心の生産様式の避けがたい補完物と
して囚われているシャドウ経済の正体を露わにする絶好の位置を占めていると信じた
のである。彼はのちに言っている。「わたしは、女性学の運動を通じて、経済学や
社会学や人類学の諸カテゴリーを根本的に問い直す動きが生じてくるであろうと
信じていました。」しかし、イリイチがそれほど大きな希望を託した運動は、
そうなる代わりに実在する生産様式の内部で平等のステータスを追求することを
断固選びとり、シャドウ・ワークを召し使い、つまり別の安価な労働者と、半ば
裏切り者の「在宅ママ」のレッテルを張られる不名誉に甘んじた女性たちに譲り渡した
のである。


(中略)


彼は依然として彼の言う「ジェンダーの悲しむべき喪失」についてエレジー風の
悲哀を込めて書いていたのである。彼は、大多数がこの喪失を解放と見なす向きの
あった時代になお、そうしていたのであり、フェミニストの平等追求は、少数の
女性に新たな特権を与えるだけであり、しかし多数の女性には、新たな不利益を
与えるという、挑発的な主張を行っていたのである。となれば、書評の大部分が
敵対的なものであったのも不思議ではない。彼は反動と呼ばれ、そのロマン主義と
ノスタルジアを告発された。


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。。そりゃ、『ジェンダー』によってイリイチは終了するし、「炎上」もしたよなあ。。


みたいな。


で、後半。。




青と赤の価値観というか、生き方の違い。。
(そして、「逃走線/漏出線」のとらえ方の違い。。



でも、言ったからにはやっちゃう女子たちです。
だから応援できるし、協力できる。
信用できる、信頼できる。
つまり、支持される、モテる。
僕を失望させない、僕も期待に応える、お互いにね。


信頼できないのなら、応援なんかできない。
協力なんかしませんよ。
どうせ言うだけなんだから。
そんな関係には陥りたくない、お互いにね。


青。。だなあ。。


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でも、言わないし、言ったところでできない女子たちです。
だから、応援したいし、協力したい。
信用はしてないし、信頼もしてないけど。
一般人、マジョリティーからは支持されないし、モテるなんて
とてもじゃないけど言えない。
僕は、失望してばかりだし、でもそれはお互い様。


信頼できないけど、応援はするなあ。。
協力もする。
どうせ言うだけでも。。
そんな関係しかない。。お互いにね。。どうしようもなさとはね。


赤。。は、こんな感じ。


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陳腐な二項対立ですがww
(で、青には悪役になってもらってますが。。


。。


>青梗菜さん

僕が想い描く社会は、君たちのそれとは違う。
どちらが正しいでも間違いでもなく、
差異を認めても、価値の上下はつけない。
君たちには間違っているように見えるかもしれないけれど、
社会は多様で、違うってだけのこと。
それぞれが違う社会を生きようとしているだけのこと。
勝ちも負けもないのよ。


そして、


>okiさん

そうそう、それぞれの良いところを吸収すれば良いだけの話。
野球の勝ち負けじゃないんだから、人生どっちをとるという話じゃないし、人生に勝ち負けもない。



やっぱ、Takeoさんのほうに、希望を感じる。。


>しかし、イリイチがそれほど大きな希望を託した運動は、そうなる代わりに
>実在する生産様式の内部で平等のステータスを追求することを断固選びとり、
>シャドウ・ワークを召し使い、つまり別の安価な労働者と、半ば裏切り者の
>「在宅ママ」のレッテルを張られる不名誉に甘んじた女性たちに譲り渡した
>のである。


。。


>「逃走線/漏出線」のとらえ方の違い。。


イリイチの「絶望」のあとだから。。やっぱ、青梗菜さんよりも、Takeoさんの
ありかた、いきかたに。。


>希望


を感じる。(私はね。。

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