「クドカン」だから「不適切にもほどがある」でも大丈夫?(2)

。。


ビタです。



↑これの続き。。(青梗菜さんには、触れずに。。


>「クドカン作品」は多面的なので、一つの観点だけから評価するのは無粋だろう。
そうだとしても、かなり多くの視聴者が、このドラマの「PC批判」的な方向性に
共感しているのは確かだと思う。実際ネットでは、「コンプラ」を一刀両断にする
小川の発言にすっきりした、といった内容の書き込みをよく目にする。


>だが、さきほど述べた通り、PCの背景は複雑で、話は簡単ではない。そして
何よりも、そもそも令和の日本社会が、「正しさの行き過ぎ」を娯楽として消費
できるほどに、差別や人権について十全な対応ができていると言えるのだろうか。


朝日の昨日の朝刊。。が手元にあって、そこから。。


>神里達博千葉大学大学院教授の論考


。。の一部を引用しました。


まあ。。ね。


>そもそも令和の日本社会が、「正しさの行き過ぎ」を娯楽として消費
できるほどに、差別や人権について十全な対応ができていると言えるのだろうか。


「クドカン」は、軽率だし危うい。。って思う。


まあ、それが「クドカン」の「あじ」だし。。ね☆


って、まあ。。ね☆


その「軽率さ」が、「うり」だし「あじ」なのだろうけど。


。。



お茶しよう。。ひとりで。

×

非ログインユーザーとして返信する