エヴァ・フェダー・キテイ

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ビタです。
また、引用(かなり、長い。。



障碍について考えることの魅力の一つは、わたしたちが障碍について語って
いるとき、わたしたちは差異について語っている、ということです。差異や
多様性は、グローバル化した世界、わたしたちの社会の特徴でさえある
グローバルな差異にとって、非常に重要な問題です。ただ、合衆国のような
国と違って、日本はもう少し、同質性の強い文化ですね。障碍者の世界では、
誰も想像できないほどの、多くの差異が存在しています。障碍者の集会に
出かけると、耳の聞こえない人たちのために、手話をする人がいます。でも、
目が見えない人もいて、その人たちは、手話が見えません。もし、その人
たちがスピーカーだとすると、コメントをするために手を挙げている人たち
を知るために、目が見える人の助けが要ります。学会ではふつう、公の場で
自分の考えを苦もなくはっきりと述べられれば、素晴らしく才気があると
みなされがちです。ところが、障碍者の集まりでは、素晴らしい才能を
持っているものの、深刻な脳性麻痺のせいで、語ることも言葉にすることも
難しい人に出会うことになります。中には、脳性麻痺の人のしゃべり方を
熟知している人を通訳として使っている人たちもいます。


このように、非常にさまざまな身体的な障碍に加え、さらに多様な認知障碍
が存在しています。知的障碍と一言でいっても、その能力差はさまざまです。
さほど深刻でない知的障碍だったり、生活に不自由のないダウン症の方も
います。そのなかには、自分の言葉で語ることも、本を書くことさえできる
人もいますが、一方では、重度の知的障碍を抱える人もいます。知的障碍を
もつ人たちのなかには、現実に独立して生活を送っている人がいて、子ども
や家族をもっている人もいます。自閉症の人たちの間にも、身体能力と知的
能力には大きな幅があります。能力に関して、最も厳しい状況にあるのが、
言葉を持たない人たちでしょう。あるいは、もし話せたとしても、同じこと
をただ、何度も何度も繰り返すだけの人たちです。そうした人々は重要な
知的能力を欠いていると考えられていますが、しかし、そうした人々が理解
できているのかいないのかは、本当のところは、はっきりと知ることはでき
ないのです。ですから、差異について考えようとするならば、障碍は、特別
に重要なスタート地点です。


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