時事ネタ

。。


ビタです。
今日は、国葬の日。。


そう言えば、7月8日に「事件」は起きましたが、その8日後の16日の
NHKの世論調査では、国葬に賛成のほうが多かった。。とか。


それが、1か月経過すると、反対のほうが多くなり、(まあ、旧統一教会の
「スキャンダル」とか大々的に報道されましたしね。。)現在は、反対が
6割とか。。(私自身は、「わからない、無回答」かなあ。。


吉田茂さんの国葬は、死後の3日で決定されて、8日目か9日目に行われた。。
そんな記憶。(基本、このエントリはググらずに書くつもり。。


亡くなられて、2か月と20日とか。。あけ過ぎましたね。。時間を。


吉田さんの場合も、いろいろ。。1967年時点では、単独講和(ソビエト
とは、講和せずに、「西側」とだけ講和した。。)ってのも、アメリカに
くっついて行くってのも、(アメリカはベトナム戦争をやってって、「悪の
帝国、資本主義は、悪」みたいな時代だったから(混乱と動乱の60年代。。


。。みたいなことを書くのは、いつも書いてるけど、「現実逃避」ww


で、続けます。


吉田さんの場合にも、間をあけたら、反対運動とかすごくなってたんじゃない
のかなあ?。。まあ、60年代だったし。。


>旧統一教会ネタと太田光
。。サンデージャポンのMCの太田光さんは、私は好意的に観てましたが。。
でも、最近。。ネットでも話題になってますが、「旧統一教会擁護」と
捉えられかねない発言が多いみたいで。。


どうなのかなあ。。


私は、現在の過熱した「旧統一教会叩き」は、まあ。。日本のマスコミだなあ。。
そう思いながら、観てます。。テレビとか。。


>大衆政治?大衆(マス)を相手にするマスコミ?。。
イタリア。。どっかで、フィリピンの選挙の結果について言及したなあ。。
(やっぱ、ちょっと検索する。。




自由で民主主義的な社会では。。性愛も富も。。
>偏在する(かたよって、。存在する。。
>パンがないなら、ケーキを食べたら


。。


で、その偏在を何とかしようとしてるのが。。
トランプさんだし、ルペンさんだし。。そんで、今回フィリピンの大統領選挙で勝利した
マルコスさん。。?。。


>マルコス元大統領がハワイに逃げて、代わりに民主主義とかがやって来た
>でも、私たちは、かえって貧しくなった。民主主義ってのは、何の役にも立たない


まあ、性愛の再分配 ≒ 弱者男性論


???


。。で、「大きな黒い犬」


↓また、リンク(つい昨日のコメントからだけど。。


>私に彼女ができないのは、社会、環境のせいだ


。。みたいなことは、何度も書いたなあ。。



↑このエントリの前後。。とか。。


そんで、「非モテのテロリズム」ってエントリ。。



>橘玲さんの『無理ゲー社会』
その第6章、「「神」になった「非モテ」のテロリスト」から。



女の性愛競争はラノベや少女マンガなどで繰り返し描かれ、よく知られて
いるが、恋愛市場における男の競争は最近まではほとんど関心をもたれ
なかった。その理由は、女が(比較的)平等に男に「分配」されてきた
からだろう。男女がほぼ同数で、一夫一婦制を徹底するなら、原理的に
すべての男が女を獲得できる。これは近代以前も同じで、日本のムラ社会
では、男も女も親が決めた相手と結婚する以外の選択肢がなかった。ハー
レムを許されるのはごく一部の特権層の男だけというのも世界共通だ。



一夫一婦のルールが歴史的にも世界的にも広く観察されるのは、男にとって
性愛は死活的に重要なので、一部の男が女を独占しようとすると殺し合い
になるほかないからだ。この原則は旧石器時代から社会に埋め込まれており、
男たちは徒党を組んで女たちを支配し、分配してきた。



近代になって一夫一婦制が徹底されるのは、国家が国民を徴兵し、戦場に
送るようになったからだろう。国家のために命を賭ける代償として、国家が
若い男たちに「女の平等な分配」を約束したのだ。



だがこうした分配機能は、長い平和とリベラル化によってちからを失って
いく。戦争がなくなれば(あるいはドローンやロボット兵が戦うように
なれば)、若い男を動員する代償は必要ない。誰もが「自分らしく」生きる
ようになれば、親や中間共同体が結婚相手を決めることもなくなる。「自由
恋愛」という言葉は恋愛が不自由な時代だからこそ意味があったわけで、
いまや完全な死語となった。



女を男に分配する社会の機能が失われると、恋愛の本質である「男は競争し、
女が選択する」が顕在化してくる。その結果、アルファをめぐる女たちの
競争がより熾烈になるとともに、早ければ思春期の前半で恋愛市場から
脱落してしまう男が現れた。これが「モテ/非モテ」問題だ。


(中略)



ひとはさまざまな理由で追い詰められることがある。だがほとんどのひとは、
無差別殺人などは起こさない。当然のことながら、非モテの男がすべて
犯罪者予備軍だなどということはない。



その一方で、世間を震撼させるような犯罪のほとんどは、なんらかの鬱屈を
抱えている男が起こすことも間違いない。秋葉原無差別殺傷事件、やまゆり
園事件だけでなく、川崎市登戸の通り魔事件、京都アニメーション放火殺人
事件など、事件の動機はそれぞれちがうだろうが、犯人はいずれも現代社会
において「自分らしく生きられない」男だ。



こうした者たちを、評論家の御田寺圭は「大きく黒い犬」と呼び、社会学者
ジークムント・バウマンは「人間廃棄物(wasted humans)」だとした。
彼らはリベラルな社会にとっての”恥部”であり、これまで「存在しないもの」
として扱われてきた。「非モテのテロリズム」は、その屈辱的な扱いに
対する(無自覚の)異議申し立てである。


。。


まあ、ね☆



>私に彼女ができないのは、社会、環境のせいだ


ごめんm(__)m。。私の立場としては、明らかに。。



>私に彼女ができないのは、社会、環境のせいだ


そうだね。。と首肯せざるを得ない


あ、↓サムネイルは、これにしよう。。

×

非ログインユーザーとして返信する