統合失調症

。。


ビタです☆


村井俊哉先生。。『統合失調症』(岩波新書)
その、?ページから。。(実は、Takeoさんの「ハインラインの老女に関する
美についての引用から、Takeoさんご自身の、美意識について書いたエントリ」
それ、名文だと思ってワードにコピペしておいたのですね。そんで、その
ワード。。隣りには↓これが打ち込んであった。。ww
で、いま確認。。7ページでしたよ(^_^;)



冒頭の章から、統合失調症が天才を生み出すわけではなく、逆に天才的な才能を持った人が患う病気でもない、ということを強調しました。もしかするとこのメッセージにがっかりされた読者のかたもいらっしゃるかもしれません。そうした方は、統合失調症という病気に、「ロマンの香り」、あるいは、鬱屈した現代社会からわれわれを解き放ってくれる「狂気の力」といったものを期待しておられたのかもしれません。実際、医学系の専門家ではなく、人文系の専門家によって統合失調症が紹介される場合には、そうした趣旨で語られることも多いですから。
私自身、人生に「ロマンの香り」は必要で、現代社会の現状を変える「常識を超えた力」も大切だと思っています。ただ、そのことを統合失調症という病気、あるいは、統合失調症という病気を患う人たちに求めることはお門違いであると考えているのです。
これから本書全体でお伝えしていきたいと思う統合失調症のイメージとは、それが「普通の病気」であるということです。ロマン的なものでもなければ、一方で、逆に社会にとって恐ろしいもの、怖いものでもありません。糖尿病や気管支喘息と同じような医学的な病気であり、病気であることは本人にとっても家族にとってもつらいことですが、正しい診断のもとに正しい治療をすれば一定程度の回復が期待できる、そういう病気なのです。
ただし、病気に中でもインフルエンザなどの急性疾患とは違い、そして糖尿病や気管支喘息と同様に、統合失調症は慢性疾患の一つです。健康管理や生活習慣などの本人の自助努力が一定の効果はあるものの、そこには限界もあります。しかし、十分な回復が得られない場合でも、病気の症状をもちながら、それとうまく付き合いながら、その中でそれぞれの人が自分らしい人生をみつけていくことができる、そういう「普通の病気」なのです。


ふむ。


>京都大学を出て京都大学の教授になれるようなひとには、絶対にわかりません!
(コードブルーって映画の、「医学部出て医者になれるような家庭に生まれたひと
には、絶対にわかりません!」からww


村井先生。。まあ、現時点での、「国内最高権威(で、いいんじゃまいかww


ふう。(青梗菜さんから、新しいメッセージ来てるかなww

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