難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを広く

。。


ビタです。
タイトル。。まあ、浄土教というか、浄土宗ー浄土真宗の教えの。。
だと、私は思ってたけど。


井上ひさしさんは、最後の「広く」を「面白く」にして、永六輔さんも、そんな
本を書いていらっしゃいましたね。


「難しいことを易しく」が、法然。「易しいことを深く」が親鸞。「深いことを
広く」が蓮如。。あたりかなあ。。みたいな。


で、↓青梗菜さんの書かれたコメント。。


>ダブルスタンダード的な姿勢を見せる「社会全体」に向けて
>「ざまあみろ」と放言した
この程度の抽象度の話でも、
難しくて意味が取れない、と嘆く人はいるよ。


できの悪い健常者に対しても、
御田寺圭はクズと呼ぶことはないだろう。
御田寺圭は、ただ単に、
読者に想定していないだけである。


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『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』56ページから


中田は自著『幸福論ー「しくじり」の哲学』でそういった狙いを端的に明かして
いる。彼はまず、「本が苦手な人」への理解を示す。


とはいっても、本には取っつきにくさがあるのも事実。なにせページを開くと、
そこには文字がびっしり並んでいるのだ。それに怯んでしまうひとがいても
しかたない。


この新書を手にとって読んでいただいている方の多くは、「本には取っつき
にくさがあるのも事実」と断言されても首をかしげざるをえないのではないか
と思う。しかし、中田はそういったある種の知的な層の思い込みのような
ものから徹底的に距離をとる。同書において自身のチャンネルについて
「駄菓子」「おでん」のような存在でありたいと語っているのが象徴的だろう。
そのうえで、(以下略。。


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>ただ単に、読者に想定していないだけである。


どっかで書いたなあ。。だいたい、活字メディア(新聞とか。。)は、偏差値
60あたりをターゲットにして文章とか書いてるので、「国民」の6~7人に
ひとりくらいしか、活字メディアの書いてることは、理解してないよんww


。。(あ、これも、御田寺か橘あたりの文章だww)みたいな。。


ふむ。。


↓サムネイルは、これ


で、一旦送信(今日も、隙間時間で書く書くww

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