羞恥

。。


ビタです☆




>そんな羞恥とか後ろ暗さとか、重たいものを持って治療に当たって
>いたら、治る患者さんも治んないよ。。


あまりに有名なエピソード。。そう中井が語ったという。
(正確な引用ではありません。。「羞恥」って言葉は使ってなかった?


↓サムネイルは、これ。。またまた。。


精神科治療学の追悼号では、少なくない精神科医が、中井先生の非政治性と
いうか、結局、30万人を数える精神障がい者の「隔離」は、改まっていないし、
国際的にも非難され続けている。。ことに対する、中井先生の不作為に言及した
。。感じ。現代思想という雑誌。。いろんな文系。。哲学・思想界のひとびと
が追悼文を書いた、現代思想という雑誌とは、ちょっと違う。。って前回の
エントリで書いたけど、ホントにそうだったかな?って思って、昨日の夜、
寮に置いてある、その現代思想を読み直す。。


>美馬達哉先生。。に、松本卓也先生は、明らかに中井の政治性には言及


で、よかった。。みたい。特に松本先生は



>そんな羞恥とか後ろ暗さとか、重たいものを持って治療に当たって
>いたら、治る患者さんも治んないよ。。


あまりに有名なエピソード。。にも、言及。(あ、寮に置いて来た(^_^;)。。
いま手元にないので、その文章は書き写せない。。ま、いっか。


でも、その精神科医おふたりくらいで。。中井の非政治性に言及したのは。。
って印象。多くは、中井礼讃。


で、精神科治療学から、そんな中井礼讃への警告。。松本先生の警告をコピぺ



だが、そのように強調点を置くことは、中井を継承するようでいて、むしろ
忘却することではないかと筆者は感じてきた。というのも、そのような
「追悼」が、痛烈な医局制度批判のマニフェストであった『日本の医者』、
そして同時代の「革命家」を横目に見ながらのゲリラ戦略を説いた『抵抗
的医師とは何か』の著者、楡林達夫(若き日の中井のペンネームである)を
消去することによって成立するように思われたからである。本稿で、中井自身が
それほど言及しているわけではないFoucaultとMarxにあえて言及したのもその
ためである。それは、いつの日か中井の「類的なコツ」が、ネオリベラルな
主体の「ライフハック」へと回収されてしまうことに抵抗するためでもある。


。。でも、私に言わせれば。。「中井自身が若き日の中井を忘却した」
上に、様々な。。ってw


で、ひとつ前のエントリのコメント欄の末尾に貼ったけど。。





>中井も神谷も「好き」www


ただ、神谷を批判した荒井英子(例えば『弱さを絆に』。。)のような存在が
中井にも。。って思いもする。


やはり、中井も、偉大だけど批判はすべきだと思う。。


。。


でも、そう、「でも」。。それに続けて



まあ、私にその資格だか能力だかは。。ないので、「ww」


。。


残念

×

非ログインユーザーとして返信する