「リベラルアーツ」

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ビタです。
「教養」というか、「リベラルアーツ」というか。。


毎日新聞の一昨日の日曜版。。1面に上田紀行先生のインタビュー記事が載っていて


>若者よ 志立て学ぼう
>自由へのリベラルアーツ


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私の亡くなった母の「遺言」だと思っている文章が浮かぶ。。



↑ここでも貼った。。↓これ。。


今回は、その文章の末尾からコピぺ。。



室井尚の本に何度も「リベラルアーツ」と出て来る。意味が分かっているのだろうか。これは「自由な学芸」という意味ではない。「差別的な学芸」という意味である。奴隷や二級市民には許されず「リベリ(自由民)」にのみ許された特権的学芸のことである。そんなものを人口の五割以上に学ばせて、どんな社会が出現するのだろうか。


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呉の文章。。↑この週刊誌上の「連載」(上のサイトは、そのネット版。。)が、一冊の
新書にまとまったもの。。を、私は持っているので、そこから。。「補論」を。。



リベラルアーツを「自由な学問」の意味に誤用する人は、室井尚以外にもよく目に
する。中には、こんな例さえある。


2015年3月4日付朝日新聞は「文系学部で何を教える」と題して、二人の人物の
対論を掲載している。一人は文学部の准教授で、大学を職業訓練学校にするなと
主張する。よくある文系学部擁護論者だ。もう一人は経営コンサルタントの冨山和彦で
「従来の文系学部のほとんどは」「何の役にも立ちません」とする。そして「リベラル
アーツの本来の定義はプラトンの時代から、人間がよりよく生きていくための『知の
技法』でしょう。それが現代では、たとえば簿記会計になるんです。実社会を生きて
いく上で確実に役に立ちますから」と結論づける。


この冨山のリベラルアーツ論は、本論で述べたように誤りである。リベラルアーツは
人間がよりよく生きていくための技法なんかではない。下層民には許されない支配者
階級のみに許された学芸という意味である。職業訓練学校では学びえないリベラル
アーツの欠如がこういう誤用をはびこらせる皮肉。


まあ、このあたりは笑い話といったところか。だが、笑い話ではすまないことも
ある。新聞などの大学の広告に、本学はリベラルアーツに力を入れていると麗々しく
謳ったものが目につく。そういう大学は決まって受験生不足に悩む低ランク大学
である。騙す方と騙される方に、甘い共同幻想が成立している。


。。


長文でしたが、コピペしました。『日本衆愚社会』小学館新書、2018年初版
その28、29ページ。。(著作権、ごめんなさいm(__)m


。。


一旦送信


↓サムネイルは、これ

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