ヒロシマの声

。。


ビタです。


今朝、俳句の掲示板と、青梗菜さんのブログにいろいろ書いた。
で。。「サバルタンは語ることができるか」でググって、わりと最近まで
引っかかってたブログ。。(現在は、引っかからない。。


USBに保存してたので、(著作権が問題だけど)コピペ


>二〇一七年のいま、「サバルタンは語ることができるか」でグーグル検索してみる。お目当てのものは、上位でいまだにヒット。題して「部落問題とサバルタン」、、しかし、部落問題にまで、この記述の「戦線」を広げたいわけではない。長文コピペ、ご容赦。
(しかし、二〇二三年のいま。。は、上記の通り、引っかからず。。


十数年前、駆け出し記者だったころのことを思い出す。米ソの核軍縮が少し前進したという国際ニュースが世界を駆けめぐったとき、そのニュースについて被爆者のコメントを取ってこいと命じられたことがある。被爆者は何十万人もいる。いったいだれのコメントを取ればいいのか。わずか数人のコメントに「ヒバクシャ」を代表させ、「ヒロシマ」の表象として報じてよいのか。


デスクがわたしにさせようとしていたのは、主な運動団体のスポークスマンにコメントを聞いてくることだったが、スポークスマンたちの言葉は容易に予想できたし、「ああ、またか」という思いがあった。社会運動をささえてきた人たちの言葉に意味がないわけではないが、予定調和を避けてみたいと考えたわたしは、社会運動とコミットしていない被爆者から直接コメントをもらうべく原爆養護ホームに向かった。何人ものお年寄りに核軍縮のニュースを平明な言葉で説明した。そして「いまのお気持ちは?」と訊ねた。だが、ほとんどの人が口を閉ざした。ただひとり、口を開いてくれた女性の言葉が「よう分からんです(よく分かりません)」であった。わたしはスピヴァクのいう「語ることができない」サバルタンの言葉に耳を傾けようとしていたのである。


わたしの企て失敗に終わる。わたしはごく短い原稿しか書けなかった。わたしが接触した被爆者たちは、核軍縮についてコメントを求められるなど予想していなかったし、語るべき言葉をもたなかったように思えた。ライバル紙には、主な運動団体の関係者を中心とした「被爆地としては喜ばしいニュース」「被爆者の願いが一歩前進した」といった大見出しの記事が掲載された。そして予想通り、わたしはデスクから困ったヤツだと思われたことだろう。


>懐かしい! 二〇〇九年の十月末頃にアップされた文章、、


一旦送信。


↓サムネイルは。。(また)これにしよう。

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