精神病と神経症

。。


ビタです。
ちょい、いろいろ。。(「嫌われビタの生涯」にタイトルしようかと思った
のですが。。青梗菜さんのコメント。。↓これについて、思うところを。。


いまはもう廃れてしまった分類(?)として、精神病と神経症に分けるって
のがありました。。そこそこ「了解可能」なのが神経症までで、精神病は、
「了解不能」みたいな。。でも、神経症(と呼ばれていたもの)にも(当たり
前ですが)生物学的精神医学的な背景はある。。(了解ではなく、説明。。)
ということが明らかになって来るにつれて。。もっと露骨に書くと、神経症
(と呼ばれていたもの)にも、お薬が効く。。というか、神経症に効くお薬が
開発された。。そんで、いろんな脳機能画像診断とかも進歩して。。みたいな
流れで。。精神病と神経症って分け方は、消散してますね。


で、その時代、精神病が了解不能と呼ばれていた頃の名残みたいなことを書き
ますが。。上に貼った青梗菜さんの考え方。。


>自分が考える愚かなことは、
>まだ、愚かな考えではない。
>愚かな考えでも、誰にも伝えなければ、
>まだ、愚考にはならない。
>愚考は、愚考を表すことで愚考になるから、


>結論 ――、
>愚考とは、愚考を表すことの許容である。


。。その流れで。。


>仮説 ――、
>異常とは、真に受けること。


>「生きるか、死ぬか」を真に受ける周囲、
>或いは、「学校に行け」とか「働け」とかを真に受ける当人。


ふむ。上手く表現できないなあ。。


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