「理解」(承前)

。。


ビタです。


前回の続き。


まあ、「理解」としましたが、ヤスパースの「了解」のようなもの。
(用語は、テキトーにしてます。)


ヤスパースは、「了解」「説明」って分けましたね。


で、「ヤスパース 了解 」でググって。。(私はすぐに、ググるひと(^_^;)


↓一番上


そこにある。。


>自然へのアプローチは説明 “erklären” によって、精神へのアプローチは了解 “verstehen” によって、という考え


まあ、統合失調症でいえば、「説明」は、「ドパミンの過剰分泌」みたいな
で、「了解」は、上のサイトの書き方では。。


>感情移入のやり方では。。「了解不能」


一方、


>共感のやり方では。。


いろいろ。


基本は、統合失調症の場合には、「了解不能」とされますね。


上のサイト。。



最後に、内海先生は、negative capability「答えの出ない事態に耐える力」というイギリスの詩人、ジョン・キーツに由来する言葉に触れられました。たとえば、突然下肢の力が抜けてしまった男性がいたとして、器質的原因は見当たらない。調べてみるとこの男性には多額の借金があって、その返済の起源が明後日に迫っているのが分かった。ああ、そうか、だからこの男性は下肢の力が抜けたのか。これが良く私たちが使う因果律というものです。しかし、実際には、多額の借金の返済期限が迫っていることと、下肢の力の抜けてしまったことがどう連なるのか、本当のところは私達には全く分かっていません。でも私たちは何か2つの間に因果律を見出して「分かって」しまうと、ほっとしてこの問題を解決済にしてしまいます。内海先生は先生が師匠の1人と仰いでおられる土居健郎先生の『方法としての面接』(1977)からの引用で、分からないことを分からないままに自分の内に抱えておくことの精神科臨床における重要さ、つまり、negative capabilityの重要さを繰り返し語っていらっしゃたことを強調して講演を締めくくられました。


長く。。長くコピペしてしまいましたが。。


まあ、なんとなく。。私の書きたいことが理解していただけたかなあ?(無理か)


前回では、「そうか。夕食を作りたかったから、家に帰る!。。そう言っていたのか!!」
そう「わかる」ことの危険性。。みたいな。


まあ、前回、結局「夕食を作る」という役割めいたことを与えることによって。。
ご高齢の「帰宅願望」のあるかたは、落ち着いたわけですが。。


>しかし、実際には、夕食の準備をその高齢のかたが若いころにしていたということと、
>その高齢のかたが、夕刻になったら「家に帰る!」と言っていたこととは、どう連なる
>のかは、本当のところは私達には全く分かっていません。でも私たちは何か2つの間に
>因果律を見出して「分かって」しまうと、ほっとしてこの問題を解決済にしてしまい
>ます。。


で、高齢のかたの場合には。。「役割を与える」ということによって落ち着かれた。。
そこに、支援者が見た「因果律」(夕食を作りたかったから、家に帰る!。。そう
言っていた)は、実は、単なる仮説にしか過ぎません。。


でも、支援者は。。因果律を見出して「分かって」しまって。。


>ほっとしてこの問題を解決済みに


できる。。という、支援者にとっての効用。。


私が書きたいこと。。わかってもらえていますでしょうか?


で。。青葉被告。。


でも、問題を、「社会の安定」とか。。「周囲のひとの心の平安」とかにするのなら



まあ、↑このあたり


社会は安定するし。。その社会の安定に、俗流の「理解」。。は寄与するし。。
(繰り返しますが、青葉被告にとっては、「たまったものではない」ですが。。
「おとうさんがうわきをしてたから、おかあさんはこうなったのよ!」と、娘さんに
なじられる、ご高齢の当時者の旦那さまのように。。)


わかってもらえてるかなあ。。


俗流の「理解」よりも、なんとかその場をやって行くには。。対処法を。


そして、問題を真に解決するつもりならば。。


>。。


まあ、↓こっち。。


で。。上のサイトから、また繰り返し貼りますが。。




最後に、内海先生は、negative capability「答えの出ない事態に耐える力」というイギリスの詩人、ジョン・キーツに由来する言葉に触れられました。たとえば、突然下肢の力が抜けてしまった男性がいたとして、器質的原因は見当たらない。調べてみるとこの男性には多額の借金があって、その返済の起源が明後日に迫っているのが分かった。ああ、そうか、だからこの男性は下肢の力が抜けたのか。これが良く私たちが使う因果律というものです。しかし、実際には、多額の借金の返済期限が迫っていることと、下肢の力の抜けてしまったことがどう連なるのか、本当のところは私達には全く分かっていません。でも私たちは何か2つの間に因果律を見出して「分かって」しまうと、ほっとしてこの問題を解決済にしてしまいます。内海先生は先生が師匠の1人と仰いでおられる土居健郎先生の『方法としての面接』(1977)からの引用で、分からないことを分からないままに自分の内に抱えておくことの精神科臨床における重要さ、つまり、negative capabilityの重要さを繰り返し語っていらっしゃたことを強調して講演を締めくくられました。


。。


なんとなく、私の書きたいこと。。わかってもらえたかなあ?


「了解不能」という統合失調症の理解には、俗流の理解ではなく、そのわからないという
ことを、わからないままに自分の内に抱えておくという。。そのことが大切。。


みたいな


そして、俗流の理解よりも、とりあえずその場をなんとかするには、対処法を。。


そして、さらに、「問題の真の解決」には。。




現在は「統合失調症」は、適切な治療が行われると、治癒はしないものの
寛解と呼ばれる落ち着いた状態になって、社会に復帰することもできます。
そのような状態になった患者さん。。寛解になって社会に復帰された患者さんを
差別することなく、あたたかく社会で迎え入れることにより、この「統合失調症」
という疾患に対する偏見は減じて行き。。そして、そうなることによって、この
病気により受診をする。。早期に受診をして早期に治療を開始することができ、
そして、「悲劇」が起きることを、さらに未然に防ぐことにつながると、私は
期待しています。


また、早期発見、早期治療もそうですが、今回の被告人の場合は長い病歴が
あります。このような、長期に渡ってこの統合失調症と闘ったり、共存したり
している患者さん障がい者のかたがたにも、あたたかい応援の手助けを期待
します。このことも、「悲劇」が起きることを、被害者のかたがたの「苦しみ」
や「無念の死」を減らすことに、結局は繋がることだと信じています。


だし。。



100万とか、統合失調症(および、その類縁疾患)とかいれば。。
その中には、今回のような事例も。。


>こういう極端な例はどうしたら良いのか〜。


地道に、100万とかのかたがたの、ケアとか治療とかをやって行くしか
ないと思っていますし、いまも。。いまのいまも、やってます。


。。


みたいな。


さて、サムネイル画像は。。↓これにしておこう。。

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